【葬儀の歴史】「泣き屋」とは?
涙を売った消えた職業の実態と
なくなった理由を徹底解説!
静寂に包まれ、すすり泣きの声だけが聞こえる…。
それが、私たちが知る現代の葬儀の光景です。
しかしほんの100年ほど前の日本では全く異なる
にぎやかな(?)お葬式が当たり前でした。
そこには、葬儀を盛り上げるために雇われた
涙のプロフェッショナルが存在したのです。
その名も「泣き屋(なきや)」
この記事では、そんな「なくなった仕事」の中でも
特に異彩を放つ「泣き屋」のリアルを徹底的に解剖します。
具体的な仕事内容から当時の需要
そしてなぜこの奇妙な職業が歴史の中に消えていったのか
その謎を詳しくお伝えします。
具体的にどのような仕事?悲しみの「演出家」
泣き屋の仕事は、一言で言えば
「葬儀の場で、お金をもらって派手に泣き
悲しみを演出すること」です。
彼らは故人とは全く血縁関係がないにも関わらず
まるで肉親を失ったかのように、大声で泣き叫び
身をよじって悲しみを表現しました。
その役割は、単に泣くだけではありませんでした。
1. 葬儀の「格」を上げる
かつての葬儀は、故人を弔うと同時に
その家の社会的地位(世間体)を示す、非常に重要なイベントでした。
参列者が少なく、静かで寂しい葬儀は
「故人は人望がなかったのか」
「あの家は落ちぶれたのか」
と見なされ、遺族にとって大きな恥とされました。
泣き屋を雇い、葬儀を「悲しみに満ちた、盛大なもの」として演出することで
故人とその家の名誉を守るという重要な役割があったのです。
2. 悲しみの「火付け役」
人前で感情を出すことを良しとしない日本人。
身内を亡くした深い悲しみがあっても
なかなか涙を流せない遺族や参列者も少なくありませんでした。
そんな時、泣き屋が感情を爆発させて大声で泣くことで
その場の雰囲気が一気に悲しみに包まれます。
その姿に誘われるように、他の参列者たちも感情を解放し
心置きなく涙を流すことができたのです。
泣き屋は、悲しみの「先導役」でもありました。
3. 故人を褒め称える
ただ泣き叫ぶだけでなく、即興で故人の生前の功績や人柄を褒め称える歌
(「泣き歌」や「褒め歌」)を歌い上げることもありました。
これにより、故人への弔いの気持ちをより一層深いものにしました。
当時の需要と、どんな人がこの仕事をしていたの?
Q. 当時の需要は?
A. 特に地方の農村部や、名家において、非常に高い需要がありました。
泣き屋の文化は、奈良時代から存在したとも言われ
江戸時代から昭和初期(1940年頃まで)にかけて全国各地で見られました。
特に地域の結びつきが強く「世間体」が重視された社会では
葬儀の体裁を整えるために不可欠な存在だったのです。
Q. どんな人がこの仕事をしていたの?
A. 主に、地域の女性たちでした。
「泣き女(なきおんな)」とも呼ばれ、普段は農業などをしながら
依頼があれば葬儀に駆けつける、という形の人が多かったようです。
中には、その演技力と声量で評判を呼び、様々な地域から引っ張りだこになる
スター的な泣き女も存在したと言われています。
涙のプロフェッショナルと報酬
Q. 演技力は大事?
A. はい、演技力こそが、この仕事のすべてでした。
ただ涙を流すだけでは、プロとは言えません。
いかに「本物らしく、聞く人の心を揺さぶるように泣けるか」が
泣き屋の腕の見せ所でした。
わざとらしい泣き方では、かえって葬儀をしらけさせてしまいます。
悲しみの深さを表現する泣き方、故人を偲ぶ切ない泣き方など
様々なレパートリーを使い分ける
まさに「女優」のようなスキルが求められたのです。
Q. 当時の給料は?
泣き屋は、月給制ではなく葬儀一件ごとの「謝礼」で報酬を得ていました。
その報酬は、現金だけでなく、お米一升や、お酒一升といった
「現物支給」も一般的でした。
当時の農村部において、お米やお酒は非常に貴重なものであり
泣き屋の仕事は女性たちが現金や家計の足しを得るための
重要な収入源でもあったのです。
腕の良い泣き屋ほど、高い報酬を得ることができました。
なぜ、「泣き屋」は姿を消したのか?
あれほどまでに必要とされた泣き屋がなぜ昭和の中期以降
急速に姿を消していったのでしょうか。
その背景には、日本の社会と文化の大きな変化がありました。
1. 葬儀文化の変化
葬儀のスタイルが、自宅や地域で行う賑やかなものから
葬儀社が運営する斎場で、静かに、厳粛に行うものへと変化しました。
大声で泣き叫ぶ泣き屋の存在は
この新しい「静かなお別れ」のスタイルにはそぐわなくなったのです。
2. 都市化と人間関係の希薄化
人々が都市部へ移り住み、核家族化が進むにつれて
かつてのような地域の結びつきや「世間体」を気にする文化が薄れていきました。
葬儀も地域全体の一大イベントから
ごく親しい身内だけで行う「家族葬」などが主流になり
泣き屋を雇ってまで体裁を整える必要がなくなったのです。
3. 葬儀社の台頭
葬儀の全てを取り仕切るプロフェッショナルである「葬儀社」が普及し
葬儀の形式が統一化・マニュアル化されていったことも
泣き屋のような古い風習が廃れていく一因となりました。
独自の文化で生まれた異彩な存在だった
「泣き屋」は、葬儀が個人の悲しみであると同時に
地域の社会的なイベントであった時代の産物です。
故人の死を派手に嘆き悲しむことが
故人と遺族の名誉を守る最善の方法だと信じられていた
独特の文化が生んだ職業でした。
その姿が消えたのは、私たちが「死」と向き合うかたちが
集団のパフォーマンスから、個人の内面的な追悼へと
静かに変化していったことの証なのかもしれません。
今ではもう見ることのできない「泣き屋」という仕事は
私たちが失ってしまった、あるいは乗り越えてきたかつての日本の姿を映し出す
興味深い歴史の一コマなのです。
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