なくなった仕事

ピンボーイ

「ピンボーイ」とは?
ボウリングの裏方だった少年たちの仕事と
なくなった理由を徹底解説!

 

ガコンッ!という小気味よい音と共に
ストライクで弾け飛ぶボウリングのピン。

そして倒れたピンが機械のアームでかき集められ
再び完璧な三角形にセットされる…。
それが私たちが知るボウリング場の光景です

しかし、その全自動の光景が当たり前になる前
レーンの向こう側の暗がりには
この全ての作業を人力で行う少年たちがいたことをご存知でしょうか。

彼らの名も「ピンボーイ(Pin boy)」

この記事では、そんな「なくなった仕事」の中でも、
特にオートメーションの歴史を象徴する
「ピンボーイ」のリアルを徹底的に解剖します。

具体的な仕事内容から当時の需要
そしてなぜこの職業が歴史の中に消えていったのか
その謎を詳しくお伝えします。

 

どんな仕事をしていたの?ボウリングレーンの「手動エンジン」

ピンボーイの仕事は、ボウリングのゲーム進行に関わる
レーンの向こう側(ピットと呼ばれた)での全ての物理的な作業を担うことでした。

この仕事が主流だったのは、主に1950年代以前のアメリカです。
その仕事内容は、驚くほどスピーディーで、リズミカルな肉体労働の連続でした。

1. 倒れたピンの除去(スイープ)

プレイヤーがボールを投げ終えると、ピットに飛び出し
倒れたピン(デッドウッド)を素早くレーン上から取り除きます。

2. ピンの再セット

残ったピン、あるいは10本全てのピンを
手作業で正確な三角形の位置に並べ直します。

現代の機械のように自動で完璧な位置にセットされるわけではないため
彼らの手際の良さがゲームのスムーズさを左右しました。

3. ボールの返却

プレイヤーが投げた重いボールを持ち上げ
ボールが転がってプレイヤーの手元に戻るための「リターンレーン」に乗せます。

当時のリターンレーンは簡単な傾斜がついただけのものが多く
ボールを力強く押し出す必要もありました。

彼らは次のボールが投げられるまでのわずかな時間で
これら一連の作業を正確にそして迅速にこなさなければなりませんでした。

 

当時の需要と、どんな人がこの仕事をしていたの?

Q. 当時の仕事の需要やボーリングの人気は?

A. ボウリングは大衆娯楽として絶大な人気を誇り
需要は非常に高かったと言えます。

20世紀前半のアメリカにおいて、ボウリングは家族や友人と楽しむ
最もポピュラーな娯楽のひとつでした。

そして当時は全てのボウリングレーンに、必ず一人のピンボーイが必要でした。
そのため街のボウリング場は何十人ものピンボーイを雇用しており
仕事の需要は非常に高かったのです。

 

Q. どんな人がこの仕事をしていたの?

A. ほぼ例外なく、10代の少年たちでした。

「ピンボーイ」という名前の通り、
この仕事の担い手は学校が終わった後や
夏休みにお小遣い稼ぎのために働く10代の少年たちがほとんどでした。

特別なスキルは必要なく、体力と素早さがあれば誰でもできる仕事として
当時の若者にとって一般的なアルバイトのひとつでした。

 

仕事の危険性と当時の給料

Q. 危ない?

A. はい、意外なほど危険で、常に怪我のリスクが伴う仕事でした。

ピットの中は、決して安全な場所ではありませんでした。

ピンの直撃
勢いよく弾け飛んだ、硬くて重い木製のピンが体に直撃する。

ボールの直撃
プレイヤーが、ピンボーイがピットから完全に退避する前に次のボールを投げてしまう。

騒音と粉塵
ピットの中はピンが倒れる轟音と木くずなどの粉塵に満ちていました。

素早く身をかわす俊敏性と常にレーンに注意を払う集中力が
怪我を防ぐためには不可欠でした。

Q. 当時の給料は?

ピンボーイの給料は、非常に薄給でした。

支払い方法は、1ゲーム(ライン)あたり数セントという歩合制か
低い時給制が一般的でした。
決して稼げる仕事ではありませんでしたが
少年たちにとっては貴重な収入源でした。

そのためプレイヤーから直接もらう「チップ」
彼らの収入の重要な部分を占めていたと言われています。

 

なぜ、「ピンボーイ」は姿を消したのか?

あれほどまでに必要とされたピンボーイが
なぜ忽然と姿を消してしまったのでしょうか。

その理由は、たったひとつの、しかし革命的な発明にありました。
オートマチック・ピンセッター(自動ピンセッター)の発明と普及です。

1952年にアメリカのAMF社が
世界で初めて商業的に成功した全自動でピンをセットする機械を発表。
この機械は、人間よりも速く、正確に、そして文句も言わず
24時間働き続けることができました。

ボウリング場の経営者にとって人件費を大幅に削減できるこの機械は瞬く間に普及
こうして人間のピンボーイの仕事は、完全に機械に代替され
歴史の中にその役割を終えたのです。

ちなみに、日本で空前のボウリングブームが起こった1970年代には
すでにこの自動ピンセッターが当たり前になっていたため
日本では「ピンボーイ」という職業は、ほとんど馴染みがありません。

 

娯楽を支えた危険な仕事に挑む少年たち

「ピンボーイ」は、ボウリングという娯楽の黎明期を
その薄暗いレーンの向こう側で支え続けた若き労働者たちの物語です。

彼らの仕事の消滅は「オートメーション(自動化)が
いかにして人間の仕事を奪っていくか」という
現代にも通じる普遍的なテーマを、非常に分かりやすく示してくれます。

次にあなたがボウリング場で、機械がピンを鮮やかに並べ上げるのを見た時
ほんの少しだけ、かつてその作業を薄給と危険の中で
少年たちが手作業で行っていた時代があったことを
思い出してみてはいかがでしょうか。

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aki
akiです。過去の交通事故で夢を諦め、人生の挫折から多くを学びこれからの人生をより豊かに生きるため日々精進しております。 調べることが大好きでわからないこと知りたいことがあればとにかく調べるやってみる!好奇心が絶えません!