ボーリングのピンを立てる人(ピンボーイ)
今回はなくなってしまった仕事からピンボーイについてになります。
レーンに並べられた10本のピンを狙いボールを転がして倒したピンの数を競うスポーツ、ボーリングですが今では機械が自動で倒したピンの数を表示して倒れたピンを元に戻してくれます。昔、ボーリングが登場したばかりの頃はそのような機械もまだ無かったために手動でピンを立て直されていました。ピンを立て直す専門の人たちはピンボーイと呼ばれていました。
日本ではボウリングは昭和30年代前後に爆発的に広まっていったとされていて、その後3千ヶ所を超える数のボウリング場が建設されていきました。そしてブームが去り現在では千ヶ所を切るほどになっているそうです。
給料が高い!!?
倒れたピンを立て直すだけの単純作業ゆえに給料も安いのでは?とお思いきや給料はなかなか高額で、一般的な新入社員の給料よりも多くの給料が支払われていたそうです。
その理由としては非常に危険な仕事であったこと。転がってきたピンが身体の部位に当たって怪我をするリスクがあったそうです。当時は会社員がピンボーイを務め、後にアルバイトがその仕事に就くことになります。最終的には現在のように機械が全自動で直してくれるようになったので次第にピンボーイという仕事そのものがなくなっていったそうです。
そして、ボウリングという遊戯そのものが遊べるようになった当時は会員制で、その会費は当時の平均月収の3倍ほどで非常に高額だったことも理由の一つだと考えられます。ボウリングをプレイする人もお金を持った人たちだったことからボウリング場の売り上げも非常に大きなものだった…
と思いきや、会費があまりにも高額であったためになかなかプレイ人口が増えずに会員制は廃止され、ボウリングはもっと一般の人向けに変わっていきました。
ちなみに
ピンを立て直すことともうひとつ、ボウリング場で遊ぶのに必要なものがあります。
それがスコアを記録すること。ボウリングができた当時は倒れたピンを自動で感知してスコアを記録するような機械も、手入力でスコアを記録していくコンピュータもありませんでした。当時はピンを倒した数を数えてスコアを記録する係がいました。
それがスコアキーパーと呼ばれる人たちです。これは、階級の高い人や英語を使う機会もあったために多くの知的な女性が活躍していたそうです。
現在は
人気を博したボウリングも落ち着き、店舗数も全盛期からは減っていき、今のようなスタイルで日々楽しまれています。ボールが自動で手元に届き、倒したピンが立て直され、倒したピンのスコアが表示されて非常に快適にプレイすることができます。そこに至るまでにはこのようにな人たちがいて、それを快適にできるように考えて機械を開発した多くの人たちの努力がありました。
今回はボウリングのピンを立てる人、ピンボーイについてでした。ちなみに僕はボウリング経験は人生で3ゲームしかやったことがなく…
ベストスコアは98?とかです…苦手です。
他の仕事を見てみる→Check